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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)6123号 判決

原告

寺田喜昭

右訴訟代理人弁護士

岡田隆芳

被告

新三菱タクシー株式会社(旧商号 信興太陽株式会社)

右代表者代表取締役

中村時雄

右訴訟代理人弁護士

川見公直

浜田行正

馬場久枝

右訴訟復代理人弁護士

吉川法生

田中稔子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和六一年一一月二五日原告に対してなした解雇の意思表示が無効であることを確認する。

2  被告は原告に対し、昭和六一年一一月二五日以降、毎月金二九万〇二二一円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告はタクシー業を営む会社である。原告は、昭和五二年四月被告に入社し、一時他の会社へ勤務したが、同五五年二月再度被告に入社し、タクシー運転手として勤務していた。

2  被告は昭和六一年一一月二五日原告に対し、懲戒解雇とする旨の意思表示(以下「本件解雇」という)をなし、以後原告の就労を拒否している。

3  原告は被告から給与として、営業収入の五割相当額の支給を受けているところ、原告の営業収入は同年八月五四万一〇〇〇円、九月六五万八四九〇円、一〇月五四万八三三〇円であり、その平均月額は五八万二六〇六円であるから、右三か月間の平均給与月額は二九万一三〇三円である。

4  よって、原告は被告に対し、本件解雇が無効であることの確認を求めるとともに、労働契約に基づき昭和六一年一一月二五日以降毎月二九万〇二二一円(内金)の割合による金員を(ママ)支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3の事実は認める。但し、原告は、税金等込みで営業収入の五割前後の給与を受けていたが、これは、基本給に歩合給その他各種手当が付加されたものである。

三  抗弁

1  原告は、昭和六一年一一月二二日午後四時ころ、被告経理事務所において、中村英明経理担当次長(以下「中村次長」という)に対し、同人が原告の給与明細表(同年一〇月分)の誤記につき、陳謝したにもかかわらず、「誤ってすむと思うてんのか。女房に電話したら泣いとるやないか。俺の信用どないしてくれる。離婚もせんならんかもわからんし、五〇〇万円借りる予定がだめになった。どない始末してくれるんや。」などと怒号し、机上の書類を持ち上げて投げ下ろすなどの行為をして威迫した。

2  原告は、同事務所へ駆けつけた能勢徹営業所長(以下「能勢所長」という)と中村次長とともに営業事務所に移動し、能勢所長が、原告の上司である同人と話をするよう求めたにもかかわらず、執拗に中村次長に対し、「後始末に一筆書け。姫路まで一緒に行こう。五人程雁首揃えて待っているから、素直に謝ってすむ相手と違うぞ。」などと威迫し続けた。

3  中村次長が詫び状を書いて原告に渡すと、原告はインクの色が一部異なるとその書き直しを要求するとともに「給与明細を何回も間違えたのに、全責任をとると書いていない。」など長時間にわたって執拗に難癖をつけた。中村次長は全責任をとるということは意味不明かつ無理難題であるため、返答のしようがなく沈黙していると、原告は、中村次長のネクタイを強く引っ張って締めつけ、同人が原告の手を払いのけると、今度は同人のワイシャツの襟首をつかんで引っ張りあげた。能勢所長が制止したため原告は手を離した。

4  中村次長が二枚目の詫び状を書き、営業事務所で原告に渡したところ、原告は同人に対し「姫路に一緒に行こう」と言い、同人が断ると、机上にあった算盤を振り上げそれを小刻みに振って威迫し、能勢所長が制止したにもかかわらず、原告は算盤を振り上げ、中村次長めがけて振り下ろした。同人がとっさに顔をそらしたため、顔にはあたらなかったが、算盤の角が同人の右腹部に当たった。同人は右原告の暴行により、締めつけられた首の回りが発赤したのみならず、加療約五日間を要する腹部挫創の障害を負った。

5  被告は、毎年一年間のタクシー乗務員の出勤日と公休日を出番表で定めており、公休日を出勤日に振り替える場合には勤怠変更指示表に記載して当該勤務日より五日以内に提出すること、有給休暇をとる場合には三日前に届出をすることが必要で、当日の欠勤届出は届出欠勤扱いとなる。また、給与は毎月二〇日締めで、当月二八日に支給している。

6(一)  原告は右出番表によると、昭和六一年九月二八日は公休日であったが公休出勤しており、同年一〇月五日は出勤日であったが届出欠勤をしていた。

(二)  原告は締切日の同年一〇月二〇日の少し前、無理やり右九月二八日の公休出勤を一〇月五日の届出欠勤と振り替えるよう求めた。そのため給与明細表の誤記が生じたものであるが、原告は自分でその原因を作りながら、前記のとおり、それを経理のミスとして執拗に暴言をはき、中村次長に理不尽な要求をし、上司である能勢所長の申入に従わず、中村次長に対する個人攻撃に終始し、能勢所長の制止もきかず、中村次長を殴打し障害を負わせた。

7  原告はそれ以前にも独断的行為により、公休出勤と欠勤を振り替えるように出勤表を変更させた。原告は同年一一月二二ないし二四日は自己都合により勝手に欠勤したにもかかわらず、正当な手続をとらないで、上司の鎌倉課長に対し公休日との振替や有給日の指定を要求した。

8  原告の右1ないし4の行為は被告の就業規則九三条(懲戒解雇又は諭旨解雇に対する場合の規定)七号「刑事上の罪に問われ、懲戒解雇することが適当と認めたとき」及び一一号「事業場の内外を問わず、窃盗・暴行・脅迫・賭博等の不法行為をしたとき」に該当し、右6、7の行為は、同一六号「職務の権限範囲を越えて独断的行為をしたとき」及び三二号「業務上の指示・命令に不当に反抗して、事業場の秩序を乱したとき」に該当するところ、その違反の程度は悪質であるから、右事由を理由としてなした本件解雇は正当である。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  抗弁1の事実のうち、中村次長が一一月二二日午後四時ころ被告経理事務所において、原告に対し給与明細表の誤記につき陳謝したこと、原告が机上の書類を持ち上げて投げ下ろしたことは認める。

2  同2の事実のうち、原告が中村次長に「一筆書け」「姫路まで一緒に行こう」と言ったことは認める。

3  同3の事実のうち、中村次長が詫び状を書いて原告に渡したこと、原告はインクの色が一部異なると言い、その書き直しを要求したことは認めるが、原告が「全責任をとると書いていない」と言い、中村次長が沈黙していたこと、原告が中村次長のネクタイを引っ張り、ワイシャツの襟首をつかんだことは否認する。

4  同4の事実のうち、中村次長が二枚目の詫び状を書き営業事務所で原告に渡したこと、原告は同人に対し「姫路に一緒に行こう」と言ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は中村次長に対し「姫路に一緒に行こう」と依頼したところ、同人が逃げようとしたため、これを引き止めるべく、机越しに手をのばして同人のネクタイをつかんだところネクタイの引っ張りあいとなり、同人が引っ張ったため、原告は机上の上につんのめり、算盤を滑らせたのでこれを取り上げたところ、能勢所長が制止したため、原告は手を離しそれ以上の行動にはでなかった。

5  同5の事実のうち、公休日を出勤日に振り替える場合や有給休暇の届出方法については否認し、その余は認める。右振替や有給休暇の取得は上司との話合により決められている。

6(一)  同6(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実は否認する。九月二八日の公休出勤と一〇月五日の届出欠勤との振替の許可は、九月二八日に上司である鎌倉吾一労務担当課長(以下「鎌倉課長」という)から得ている。原告は一〇月一七日ころ右振替がなされているか確認したにすぎない。

7  同7の事実は否認する。一一月二二日は後日の公休出勤との振替、二三、二四日は有給休暇の取得ということで、鎌倉課長の了解を得ている。

8  同8は争う。

五  再抗弁

1  不当労働行為

本件解雇は、被告が原告の以下の行動を嫌ってしたものであり、不当労働行為として無効である。

(一) 原告は被告の従業員により組織されている信興太陽労働組合(以下「本件組合」という)の組合員である。原告は、昭和六二年二月に予定されていた本件組合の役員選挙の委員長候補者である松生が御用組合的言動をとるため、同候補者の応援を断っていた。

(二) 原告は、慰安旅行が労働組合主催であるのに、その雰囲気が異常であって、組合員が参加しにくい状況であったこと及び被告の役員が多数参加して組合員の説得に利用したことについて、本件組合の執行部に抗議した。

(三) 原告は同行会を結成し、会費を徴収するとともに慶弔費等を定めた。被告及び本件組合は第二組合の結成とみて、同行会参加者に不利益な扱いをして、原告の活動を阻止しようとした。

(四) 原告は、被告が、新車の配車、アンコ乗務(公休日における乗務)の許可、有給休暇の許可などの扱いについて、上司の覚えの善し悪しで不公平な取扱をしたことについて、何度も抗議した。

2  適正手続違反

被告と本件組合間において締結された労働協約(〈証拠略〉)四九条は「会社は組合員が左の各号の一に該当する場合を除いては解雇しない」と、同条五号は「懲戒委員会の決定に基き懲戒解雇を必要とするとき」と規定している。被告は、右手続を履践していないし、原告の弁解を聴取しておらず、本件解雇は適正手続に違反し無効である。

3  権利濫用

(一)(1) 原告は、友人の清村から真面目に働いている証明として給与明細があれば五〇〇万円貸すとの内諾を得た。原告は右金員を自己の借財の返済に用いる予定であった。

(2) 原告は清村に昭和六一年一〇月分の給与明細表を見せることとし、同月一七日被告に同年九月二八日の公休出勤と一〇月五日の届出欠勤の振替がなされているか確認した。

(3) 原告は同年一〇月二八日受領した給与明細表を清村に見せたところ、全日出勤のはずなのに欠勤一日となっていた。原告は翌二九日中村次長にその訂正を依頼した。訂正された給与明細表を清村に渡したところ、欠勤はなくなっていたものの、出勤日数の訂正がなく、稼働日数に一日少なく記載されていた。

(4) 原告は再度訂正を申し入れ、三度目に渡された給与明細表では、営業収入が実際は五四万八三三〇円のところ六〇万〇六〇〇円と誤って記載されており、原告は清村から右明細表を突き返された。

(5) 被告が三度誤った給与明細表を原告に渡したため、清村は原告を信用せず、五〇〇万円貸すことを断った。

(二)(1) 原告の妻が同年一一月二二日被告に電話したところ、中村次長は給与明細表のミスを認め、どこへでも行って説明すると述べた。原告は右話を聞いた。

(2) 原告は同日夕方被告に赴き、中村次長に対し、右被告のミスについて始末書を作成すること及び原告と同行のうえ説明に赴くよう要求した。中村次長は詫び状を作成したものの、説明に行くとの前言を翻し逃げようとしたため、それを止めるため原告は中村次長のネクタイを引っ張った。

(三) 以上のとおり、仮に原告の暴行傷害の事実が認められるとしても、それは被告の業務上のミスに起因するものであり、そのため原告は信用を失い予定していた借金ができなくなった事情を斟酌すれば、懲戒解雇相当行為とは言えないし、加えて原告の行為は被告の業務や秩序を乱すものではないこと、業務ミスを侵した中村次長には何らの処分もされていないこと、傷害の程度は軽微であること、解雇に至る手続を履践していないことをも斟酌すると、本件解雇は解雇権の濫用にあたり無効である。

六  再抗弁に対する認否及び反論

1  再抗弁1冒頭の主張は争う。

(一) 同(一)の事実のうち、原告は当時本件組合の組合員であったこと、昭和六二年二月に本件組合の役員選挙が予定されていたことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同(二)ないし(四)の事実は否認する。

2  同2の主張は争う。

3(一)(1) 同3(一)(2)の事実のうち、原告が一〇月一七日原告主張の振替について被告に確認したことは否認する。

(2) 同(3)の事実のうち、原告が一〇月二八日受領した給与明細表には欠勤一日となっていたこと、原告は翌二九日中村次長にその訂正を依頼したこと並びに訂正された給与明細表の記載内容については認めるが、原告は一〇月に全日出勤したことは否認する。

(3) 同(4)の事実は、原告が清村から給与明細表を突き返されたことを除き、認める。

(4) 同(5)の事実は否認する。

(二)(1) 同(二)(1)の事実のうち、原告の妻が一一月二二日被告に電話し、中村次長が応対したことは認めるがその余は否認する。中村次長は給与明細表の誤記につき、いつでも訂正又は証明すると述べたにすぎない。

(2) 同(2)の事実のうち、中村次長が前言を翻し逃げようとしたこと、原告が中村次長のネクタイを引っ張ったのはそれを止めようとしたためであることは否認し、その余は認める。

(三) 同(三)の主張は争う。前述のとおり、原告が正当な手続を経ずに公休出勤と届出欠勤との振替を要求したため給与明細表の誤記が生じたものであり、原告は自分でその原因を作ったものであるし、中村次長に対する暴行の態様は、会社内において算盤という凶器を用い、同人を追いかけたうえ無抵抗の人間に殴りかかったというもので、その悪質性は高く、原告は規則等を遵守せず、横暴な行為にでて勤務変更を強要し、暴力まで振るっていることからして、被告に権利の濫用はない。

第三証拠(略)

理由

一  被告はタクシー業を営む会社であり、原告は昭和五二年四月被告に入社し、一時他の会社へ勤務したが、同五五年二月再度被告に入社し、タクシー運転手として勤務していたこと、被告は同六一年一一月二五日原告に対し、懲戒解雇とする旨の意思表示をなし、以後原告の就労を拒否していることは当事者間に争いがない。

二  被告主張の懲戒解雇事由の存否について検討する。

1  抗弁1ないし4の事実のうち、原告は、昭和六一年一一月二二日午後四時ころ被告経理事務所において、中村次長が原告の給与明細表(同年一〇月分)の誤記につき陳謝したにもかかわらず、机上の書類を持ち上げて投げ下ろしたこと、原告は中村次長に右誤記について一筆書けと要求し、姫路まで一緒に行こうと言ったこと、中村次長が詫び状を書いて原告に渡すと、原告はインクの色が一部異なるとその書き直しを要求し、中村次長は二枚目の詫び状を書き営業事務所で原告に渡したこと、その後原告は再度同人に姫路に一緒に行こうと言ったこと、原告は机上の算盤を取り上げたことは当事者間に争いがない。

抗弁5、6の事実のうち、被告は、毎年一年間の乗務員の出勤日と公休日を出番表で定めていること、欠勤当日に届けをした場合は届出欠勤扱いとなること、給与は毎月二〇日締めで当月二八日が支給日であること、原告は右出番表によると、昭和六一年九月二八日は公休日であったが公休出勤しており、同年一〇月五日は出勤日であったが届出欠勤をしたことは当事者間に争いがない。

2  成立に争いのない(証拠略)の結果(但し一部)を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定に反する(証拠略)及び原告本人尋問の結果は信用しない。

(一)  被告は、予め毎年四月から一年間、タクシー乗務員の出勤日と公休日を出番表で定めている。そして、公休日を出勤日としその代わり他の出勤日を公休日に振り替える場合については、就業規則や労働協約の規定はないが、運用として勤怠変更指示表に記載して当該勤務日より五日以内に提出することを要し、また、有給休暇をとる場合には三日前に届出をすることが必要で(就業規則五二条)、当日の届出は届出欠勤扱いとなる。給与は毎月二〇日締めで当月二八日に支給されており、当月分の給与とは先月二一日から当月二〇日までの稼働に対するものである。

右出番表によると、原告は昭和六一年九月二八日は公休日であったが公休出勤しており、同年一〇月五日は出勤日であったが届出欠勤をした。従業員の毎日の稼働状況については、日々コンピューターに入力されており、原告に関しては、右九月二八日は公休出勤、一〇月五日は届出欠勤としてコンピューター処理がなされていた。

(二)  原告は同年一〇月一七日ころ、上司である鎌倉課長と共に被告経理事務所を訪れ、勤務中の中村次長に対し、勤怠変更指示表によらず口頭で、九月二八日の公休出勤を本番乗務(所定労働日の労働)とするよう依頼したので、中村次長は、コンピューター係に対し、原告の右九月二八日の公休出勤を本番乗務にするよう電話で指示した。そのとき原告から一〇月五日の届出欠勤に関する話はなかった。

被告は原告その他の乗務員に、同年一〇月分の給与を同月二八日に支給した。原告が同日に受け取った給与明細表には届出欠勤一日と記載されており、届出欠勤一日あたり五〇〇円(最高は三〇〇〇円まで)減額されるとの規定に基づき、右給与から五〇〇円が減額されていた。原告は翌二九日中村次長に「給与明細表に届欠が一日ある。届欠をとりあえず消してくれ。五〇〇円については来月清算してくれればよい。明細書が欲しい。」と申し入れた。中村次長はこのとき初めて、九月二八日の公休出勤を本番乗務にしたのは一〇月五日の届出欠勤を抹消するためであることが分かり、営業担当者に確認のうえ、右届出欠勤を公休日とするよう勤怠変更指示表でコンピューター係に指示した。

中村次長はその約一週間後原告に二度目の給与明細表を渡したところ、原告からその二、三日後、出勤日数が少ないとの抗議があった。右明細表では、届出欠勤はない旨訂正されていたものの、出勤日数が一回目の給与明細表と同じ二三日であり、一日少なかった。原告はその際新たな給与明細表を要求しなかったし、支給額について誤りはなく、原告に金銭的な損害はなかった。

原告はその一週間後鎌倉課長を通じて、中村次長に再度正確な給与明細表を要求した。中村次長はコンピューター係に原告の勤怠欄の訂正のみを依頼したが、三度目の給与明細表には出勤日数、給与等は正しく記載されたものの、営業収入の欄が実際は五四万八三三〇円であるのに六〇万〇六〇〇円と記載された。中村次長は誤記に気付かず、右明細表をそのまま原告に渡した。

(三)  原告の妻と名乗る女性から同年一一月二二日午後中村次長に対し、離婚の慰藉料を出すと言われたのですかなどと電話があり、中村次長は意味が分からず原告の給与明細表の件と思い、給与明細表の誤記についてはいつでも訂正し証明する旨返答した。

(四)  原告は、同日午後四時ころ被告の経理事務所を訪れ、勤務の中村次長が給与明細表の誤記について陳謝したにもかかわらず、「謝ってすむと思うてんのか。女房に電話したら泣いとるやないか。俺の信用どないしてくれる。離婚もせんならんかもわからんし、五〇〇万円借りる予定がだめになった。どない始末してくれるんや。」などと大声で怒鳴りながら、机上の書類を持ち上げて投げ下ろすなどの行為をして同人を威迫した。女子事務員の知らせを受けて駆けつけた能勢所長が原告をなだめ、原告、能勢所長及び中村次長は営業事務所に移動した。

能勢所長は原告に、上司である同人と話をするよう命じたにもかかわらず、原告は中村次長に対し執拗に、「後始末に一筆書け。姫路まで一緒に行こう。五人程雁首揃えて待っているから。素直に謝ってすむ相手と違うぞ。」などと威迫し続けた。中村次長はその場をおさめるため詫び状を書くこととし、原告は一旦外出した。中村次長はその間に経理事務所に戻って詫び状を書き、午後六時ころ営業事務所に戻った原告に渡した。

(五)  中村次長は、給与明細表のミスは原告が公休出勤と届出欠勤を正式の手続をふまずに変更したため生じたものであるとの理由で、信興太陽と冠したものの個人名義の詫び状を書いたところ、原告が「下欄に株式会社との記入がない。中村の住所や電話番号が書いていない。」と文句を言ったため、詫び状の会社名の後に株式会社と記入すると、原告は、そのインクの色が異なるとして、詫び状を書き直すよう要求するとともに、「給与明細を何回も間違えたのに、全責任をとると書いていない。」など要求を繰り返した。中村次長は、給与明細表の誤記について謝罪し詫び状まで書いている以上、全責任をとるということは意味不明かつ無理難題であるため、返答のしようがなく沈黙していた。

そうすると原告は、中村次長のネクタイを強く引っ張り締めつけたため、同人が原告の手を払いのけてネクタイを首からはずしたところ、さらに原告は同人のワイシャツの襟首をつかんで引っ張りあげた。能勢所長が中に入って制止したため、原告は手を離した。右原告の行為により中村次長の首筋が発赤した。

(六)  中村次長は詫び状を書き直すために経理事務所に戻り、二枚目の詫び状を書き、営業事務所で原告に渡した。原告は詫び状を受け取ると再び中村次長に、「姫路へ行って詫びをいれてもらおうか。五人雁首揃えて待っとるから。」と言いだしたが、中村次長がその必要を認めず断ると、原告は机の上に置いてあった長さ約三〇センチメートルの木製の算盤をつかみ、小刻みに振って、殴ろうとする態度を示し、中村次長を威圧した。能勢所長がその場で制止したにもかかわらず、原告は右算盤を振り上げ、中村次長の頭部めがけて振り下ろした。同人がとっさによけたため、頭部には当たらなかったものの、右算盤の角が右腹部に当たり、同人は通院加療五日間を要する腹部挫創の傷害を負った。

(七)  中村次長は右傷害事件について原告を告訴した。原告は起訴され、地方裁判所では原告が算盤で中村次長を殴って傷害を負わせたと認定され、罰金七万円の有罪判決を受けたが、原告はそれを不服として現在控訴中である。

3  (証拠略)によれば、被告の就業規則九三条は懲戒解雇又は諭旨解雇に処する場合として、七号「刑事上の罪に問われ、懲戒解雇することが適当と認めたとき」、一一号「事業場の内外を問わず、窃盗・暴行・脅迫・賭博等の不法行為をしたとき」、一六号「職務の権限範囲を越えて独断的行為をしたとき」、三二号「業務上の指示・命令に不当に反抗して、事業場の秩序を乱したとき」と規定していることが認められる。

右認定のとおり、原告は、被告の事務所内において、能勢所長の指示や制止行為に従わず、勤務中の中村次長に対し、執拗に脅迫的文言を申し向けるなどして威迫行為を繰り返し、算盤を用いて同人を殴打し、通院加療五日間を要する腹部挫創の傷害を与えたもので、右行為態様からして事業場の秩序を乱したことは明らかであり、右事実は就業規則九三条七号、一一号、三二号に該当するものと認められる。なお、同一六号はその文言及び他の規定との関係からして、職務又は職務類似行為に従事したときにその権限範囲を越えた場合の規定であり、職務と全く無関係な暴行及び脅迫というような犯罪行為に適用されるものとは解されないので、原告の行為は右一六号に該当するとはいえない。

三  本件解雇の効力について検討する。

1  原告は、本件解雇は適正手続に違反し無効であると主張する。

(一)  (証拠略)によれば、被告と本件組合間で締結された従前の労働協約四九条は「会社は組合員が左の各号の一に該当する場合を除いては解雇しない」と、同条五号は「懲戒委員会の決定に基き懲戒解雇を必要とするとき」と規定していたところ、両者間において右労働協約の全面的な改定作業がなされ、昭和六一年五月一二日に新たな労働協約が締結されたこと、新労働協約六八条は「従業員の表彰及び懲戒は、就業規則により会社と組合が協議してこれを行なう」と、就業規則八三条は「会社は、労働能率の向上と社内秩序維持のため、従業員を懲戒することがある」と規定していること、被告は、昭和六一年一一月二五日ころ本件組合に対し、原告が暴力を振るったので懲戒解雇にする旨連絡し、能勢所長と中村次長が本件組合の会議室に赴き組合の執行部に対し、中村次長の診断書を示して右暴力事件の概要について説明し、質疑応答がなされたこと、本件組合は執行部会を開催し、右事件については刑事告訴がなされており、組合が事案の真相を解明することは困難であるから、警察等の手によりその解明がなされることを待ち、それまでは本件組合としては関与しない旨決定したこと、原告から右決定について異議の申立があり、組合執行部は同月二九日原告の言い分を聞いたが、本件組合は右結論を維持することとしたこと、本件組合はその後も本件解雇につき抗議をしていないことが認められる。

(二)  右新労働協約六八条は、被告が従業員を懲戒するにあたり、本件組合との協議を必要とする旨定めたものであり、懲戒解雇について組合の同意を得ることまでを要する趣旨の規定ではないと解されるところ、被告は本件解雇につき本件組合と協議を行い、本件組合は警察等の手により事案の解明がなされるまでは関与しない旨決定したことは前認定のとおりであるから、本件解雇の手続が労働協約に違反している旨の原告の主張は理由がない。

(三)  原告本人尋問の結果によれば、被告は本件解雇の決定にあたり原告の弁解を聴取していないことが認められるが、就業規則ないし労働協約において、被懲戒者の弁解を聴取することを要する旨の規定は認められないから、弁解を聴取しなかったことにより、本件解雇が適正手続違反を理由として無効となると解することはできない。

(四)  以上検討のとおり、本件解雇が適正手続違反により無効であるとの原告の主張は理由がない。

2  次に、本件解雇が解雇権の濫用にあたり無効であるとの主張について検討する。

(一)  原告は、給与明細表の誤記により信用を失い予定していた借金ができなくなった旨主張する。

(1) 原告が昭和六一年一〇月二八日受領した給与明細表には欠勤一日となっていたこと、原告は翌二九日中村次長にその訂正を依頼したこと、二回目に受領した給与明細表では、欠勤はなくなっていたものの、出勤日数の訂正がなく、稼働日数は一日少なく記載されていたこと、原告は再度訂正を申し入れ、三回目に渡された給与明細表では、営業収入が実際は五四万八三三〇円のところ六〇万〇六〇〇円と誤って記載されていたことは当事者間に争いがない。

(証拠略)によれば、右二回目に渡された給与明細表では出勤日数が最初のそれと同じ二三日と記載されていたが、三回目の給与明細表では出勤日数は二四日と訂正されたこと、原告は同月に有給休暇を一日取得しており、右三通の給与明細表にはその旨の記載があることが認められる。

(2) (証拠略)により真正に成立したものと認められる(証拠略)並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は、大阪市東成区内に居住し精肉店を営む友人の清村に対し、無利息で返済期限については明確に定めず、可能な範囲で小額ずつ返却するとの条件で、五〇〇万円の借金を申し込んだこと、原告と清村は二〇年以上前からの友人で親戚付き合いしていること、原告は清村から右借金の申込を断られたことが認められる。

(3) 原告は、清村から真面目に働いている証明として給与明細表の提示を求められ、右三通の給与明細表をその都度同人に提示したところ、三通とも誤記があったため、同人の信用を失って借金を断られた旨主張し、原告本人尋問の結果及び(証拠略)にはそれに副う部分がある。

しかしながら、最初の給与明細表では出勤日数は二三日あり、欠勤はわずか一日にすぎず、その記載内容からして原告は一応真面目に勤務していると判断できること、二回目及び三回目の給与明細表とも欠勤なしになっており、その記載からして原告が欠勤していないことは明らかであるから、前記各給与明細表の誤記は原告の勤務状態を判断するにあたり重要な意味を持たないものと解されること、中村次長は原告の要求により詫び状を書き、渡したことは前認定のとおりであり、(証拠略)によれば、右詫び状には被告の経理が計算を誤ったために原告の給与明細表の誤記が生じた旨の記載があることが認められ、右記載内容からして右誤記につき原告には責任がないことは明らかであるから、原告がその詫び状を清村に提示すれば、給与明細表に関する原告の言い分を納得してもらえるはずであることからして、原告と二〇年来の友人で親戚付き合いし、借主にとって前記のような破格の好条件で金員を貸すことを検討していた者が、前記のごとく些細とも解される給与明細表の誤記を真の理由として原告を信用せず、借金の申込を断ったというのは疑問であり、前掲各証拠から右原告主張のとおり認定することは躊躇せざるを得ず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)  給与明細表の誤記がその発端となって、原告が中村次長を威迫し暴行したことは前認定のとおりであるし、また、証人中村英明の証言によれば、中村次長は本件給与明細表の誤記に関し特に処分は受けていないことが認められる。しかしながら、右誤記は些細なものともいえ、原告が右誤記により何らかの不利益を被ったとは認めることができないこと、前述のように右誤記の一因は、原告が正式な手続を経ずに公休出勤と届出欠勤を振り替えさせたためであることからして、右誤記が発端となったことを、特に原告に有利な事情と解することはできない。

(三)  前認定のとおり、原告は、中村次長に対し「姫路まで一緒に行こう。素直に謝ってすむ相手と違うぞ。」などと執拗に威迫行為を続け、詫び状に全責任をとると書いていないなどと身勝手な要求を繰り返し、同人のネクタイやワイシャツの襟首を引っ張るなどの暴行を加えたうえ、能勢所長の制止を振り切り、算盤を用いて人体の枢要部である同人の頭部を殴打しようとしたもので、同人がとっさによけたため頭部には当たらなかったものの、同人に通院加療五日間を要する腹部挫創の障害を負わせたもので、その危険性は高く、原告の右一連の行為は非常に悪質なものといわざるを得ない。

(四)  以上検討のとおり、原告が行った一連の行為の内容、それに至る経緯、情状等諸般の事情を総合的に考慮すると、原告を懲戒解雇することはやむを得ない処分というべきであり、解雇権の濫用と認めることはできない。

3  原告は、本件解雇は被告が原告の各種活動を嫌ってしたものであり、不当労働行為として無効であると主張する。

(一)  再抗弁1(一)の事実のうち、原告は当時被告の従業員により組織されている本件組合の組合員であったこと、本件組合の役員選挙が昭和六二年二月に予定されていたことは当事者間に争いがない。

(二)  (証拠略)の結果によれば、〈1〉原告は昭和六一年一一月一〇日ころ、右役員選挙で委員長に立候補することを予定していた当時の松生副委員長から、その応援を依頼されたが、同人の言動が会社よりであると感じていたため、現時点では応援しないが、組合員の利益になるように活動するならば応援すると述べたこと、〈2〉被告主催の昭和六一年の秋期慰安旅行は四班に分けて実施されたが、第三班の参加者の中に本件組合の役員並びに被告やその関連会社の役員が多数居たことについて、原告は本件組合の執行部に抗議したこと、〈3〉原告が発起人となり、野球部を中心として同行会と称する海水浴や一泊旅行等を家族ぐるみで催す親睦会を結成し、会費を徴収したこと、〈4〉被告において昭和五八年六月以降短勤勤務制度(公休日を除き毎日八時間乗車するという勤務制度)が正式に導入されたが、原告は、その導入に反対し、短勤勤務者の賃金につき、短勤勤務導入後に採用された乗務員のほうがそれ以前に採用された者より低いことや退職後嘱託として勤務している乗務員の給与が通常の給与より低いことについて被告に抗議し、また新車の配車、有給休暇の許可などの取扱について不公平であるとして被告に抗議したことがあることが認められる。

(三)  他方、(証拠略)の結果によれば、被告又は本件組合から右〈3〉の同行会の会員に対し不利益な取扱はなされておらず、同行会活動に対する妨害行為はなかったこと、労使双方からなる委員会により昭和五九年九月ころから、従前の就業規則と労働協約が実態にそぐわないとしてその改定作業がなされ、昭和六〇年四月新就業規則が、同六一年五月新労働協約が成立したが、原告は自分の働きに見合う給料をもらえばよいと考えており、本件組合の大会にはあまり参加しておらず、新労働協約や賃金協定等についてはさほど関心がなかったことが認められる。

(四)  右(二)の事実は認められるものの、被告がそのために原告を不利に扱ったり、嫌っていたことを認めるに足りる証拠はないし、原告は被告や本件組合に抗議したことがあるものの、労働組合において極めて重要な活動である労働協約の締結について関心がなかったこと、前説示のとおり、原告は中村次長に対し執拗に暴言を繰り返し、算盤で同人を殴打し傷害を負わせたものであり、その行為は悪質であって、懲戒解雇が相当であることからして、本件解雇が不当労働行為であると認めることはできない。

四  よって、本件解雇は有効であるから、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 土屋哲夫 裁判官 大竹昭彦)

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